阪神淡路大震災の時、私は宅配便の仕事をしていました
阪神淡路大震災の時、私は宅配便の仕事をしていました。
その時、神戸と明石の間の地域は、それほど地震の被害を受けていませんでした。
あの時、物すごい被害を受けたのは、神戸の中心地より東の方だったのです。
神戸の西の方は、被害はそれほどひどくなかったのです。
しかし、水は止まっていました。
その関係か、宅配便で水をたくさん運びました。
水といっても、ペットボトルに入った水ではないのです。
それなら運びやすいのですが、ダンボールの箱の中に、ビニールの袋に水道水を詰めて送って来るのです。
それも、一軒の家に何個も送ってくるのです。
持った時に重心が移動するので、中身が水だと気がつくのです。
地震による断水が終わると、そのような荷物はなくなりました。
おそらく田舎へ電話して、断水していることを田舎の人に言ったら、心配して水を送った人が多かったのだと思います。当時は、スーパーのペットボトルは神戸では売り切れで買うことが出来なかったのです。